大阪地方裁判所 昭和43年(レ)169号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕一 被控訴人が控訴人に対し、本件家屋を賃料月額三、〇〇〇円毎月末日持参払の約定で賃貸していたこと、控訴人が昭和四一年七月一日から同四二年五月末日までの賃料合計三三、〇〇〇円を支払わなかつたこと、被控訴人が昭和四一年六月五日付書面でその到達後五日以内に右延滞賃料を支払うよう催告し、右書面が同月八日控訴人に到達したこと、ついて、控訴人が右催告に応じなかつたとして被控訴人が同年六月二〇日付同月二一日到達の書面で控訴人に対し本件賃貸借契約解除の意思表示をしたことはいずれも当事者間に争がない。
二 控訴人は昭和四二年六月九日および同月一〇日の二回にわたり、内海清二と岸上万佐男を代理人として、それぞれ前記催告賃料を被控訴人方に持参して弁済のため現実に提供したが、被控訴人は月額六、〇〇〇円の割合で要求し、その受領を拒絶したと主張するので、考察する。
<証拠>を総合すると、後段三で認定のように、従前から控訴人の依頼により同人を代理して被控訴人との間で賃料増額問題などにつき交渉に当つていた内海清二(控訴人の勤務先株式会社タカラの代表取締役社長で控訴人の妻の姉婿にあたる)が、前記昭和四一年六月五日付の本件延滞賃料の催告書が到達した直後、同月九日および一〇日頃二回にわたり被控訴人方に赴き、被控訴人との間で右催告をめぐつて接衝がなされたことが認められる<反訴排斥・略>。けれども、その際控訴人主張のように右内海が被控訴人に前記催告にかかる延滞賃料三三、〇〇〇円を弁済のため現実に提供したのにかかわらず被控訴人がその受領を拒絶したとの点に副う前掲証人……の各証言、控訴人本人の供述部分は、……後記乙第一四号証の文意に比照し信用できない。
すなわち、<証拠>を総合すると、控訴人は本訴が係属(控訴人に本訴状が昭和四二年七月一九日送達されたことは記録上明らかである)した後である同年八月四日付書状(乙第一四号証)をもつて、被控訴人に宛て昭和四一年七月から同四二年七月まで一ケ月三、〇〇〇円の割合で合計三九、〇〇〇円を同封送付した(もつとも、右金員は後日被控訴人から控訴人に返戻された)が、右書状には、右賃料延滞の事由として、被控訴人側から賃料の倍額値上げの申入れや、本件家屋買取りの申入れがあり、これらに関する被控訴人との話合いが解決するまでと考え、支払を遅滞していた旨記載されているのみで、控訴人が被控訴人に対しその主張のように催告に応じて賃料を提供し、被控訴人がその受領を拒絶したとの事実につき全くふれるところがなく、しかも右書状は、前記株式会社タカラの経理顧問をしていた税理士西村秀夫が控訴人の依頼により同人ならびに前記内海清二から被控訴人と控訴人間に従前なされていた賃料増額や本件家屋売買についての交渉経過を聞知して代筆したものと認められるのであつて、前掲証人西村秀夫の証言中、右弁済提供の点を前記書状にふれなかつた理由について弁疎する部分は首肯するに足りないところである。
<証拠判断・略>
三 本件賃貸借契約解除が信義則に違反するとの控訴人の主張について判断する。
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
1 本件家屋は控訴人の先代彦造が昭和二一年一一月から当時の所有者与沢清より賃借中、右彦造は昭和四一年六月死亡し控訴人が相続人として賃借人の地位を承継した。他方家屋所有者はその間転々し、昭和四〇年二月被控訴人が当時の所有者岡野好雄から後記2認定の経緯により、その所有権を取得して賃貸人たる地位を承継したがそれまでの間控訴人はさしたる賃料の延滞もなく永年にわたり誠実な賃借人として終始した。
2 被控訴人は右前主岡野好雄が昭和四〇年三月頃本件家屋外数十軒の家屋をそれぞれ賃借人に売却した際、不動産業者として同人から右売却を一任されたが、控訴人は本件家屋の買取りを希望しなかつたため、やむなく被控訴人がこれを買得するにいたつた。被控訴人は本件家屋買得後直ちに控訴人に対し当時の賃料月額二、八〇〇円(昭和二八年六月から月額一、五〇〇円となり、その後数次に僅かづつ増額され同三九年六月以降二、八〇〇円となつた)を一挙に倍額を超える六、〇〇〇円に増額を申し入れたところ、控訴人は勤務先の建築、不動産業を営む株式会社タカラの代表取締役社長内海清二を代理人として被控訴人と交渉させた結果、昭和四〇年三月末頃従前の月額二、八〇〇円を三、〇〇〇円とすることに、合意が成立し、内海は控訴人を代理して同年四月四日に同年三日分以降六月分まで四ケ月分の賃料を、同年七月四日に同年七月分以降一二月分まで六ケ月分の賃料を、同年一二月二三日に昭和四一年一月分以降六月分まで六ケ月分の賃料を、それぞれ先払した。
3 被控訴人は前記昭和四〇年三月の当初の賃料増額交渉時以来、控訴人から右賃料の先払を受けたつど、同人の代理人内海に対し本件家屋の買取りを申し入れ、内海もこれに応ずる意向のあることを表明していたが、売買代金額につき双方の希望金額に開きがあつて、具体的な運行をみないまま経過していた。
4 被控訴人は昭和四一年六月頃再たび控訴人に対し同年七月分以降の賃料を月額六、〇〇〇円に増額申入れをしたが、控訴人は右申入れに応じず、被控訴人には右増額賃料によらなければこれを受領しない意思が窺われたため、控訴人は同年七月分以降の賃料を支払わなかつた。その後同年一二月頃には被控訴人の三男悟が再三にわたつて控訴人方に赴き右増額賃料の支払を請求し、さらにその間右悟より控訴人に対し立退料支払を条件に本件家屋明渡の申入れもなされたが、控訴人は前記内海と交渉されたいと述べ被控訴人の右内海に対する接衝も同人不在勝ちのためにはかどらず、同年一二月末頃内海が被控訴人に対し、賃料増額申入れに応ずることは困難でむしろ本件家屋買取りの線で解決したい意向のあることを表明した。
5 被控訴人は翌昭和四二年二月八日付書面で控訴人に対し前記昭和四一年七月分以降の賃料を月額四、〇〇〇円に増額する旨ならびに右金額による現在までの未払賃料を二月二三日までに支払われたい旨の催告をしたところ、右催告に対し控訴人は二月二三日付書面で被控訴人に対し家族の病気療養費などがかさんで右増額には応じ難いため当分の間従前額に据え置かれたい旨回答した。
ついで、被控訴人は、昭和四二年六月五日付書面で本件催告に及んだが、右催告書には、前記のように昭和四一年七月分から同四二年五月分まで従前の月額三、〇〇〇円の割合による賃料を右書面到達後五日間以内に支払うよう催告するとともに、「昭和四一年七月より家賃値上の件もありますので必ず賃借人御本人が御支払に来て頂きますようお願い致します」と附記してあつた。控訴人は右催告書の記載から被控訴人が控訴人本人の出頭を求めて賃料増額を請求するものと推測し、前記内海に被控訴人との交渉を依頼したので、内海は同月九日と一〇日頃の二回にわたり、控訴人を代理して被控訴人方に赴き、同人と話合つたが、右両日とも協議の重点は延滞賃料の解決よりは、むしろ従前から当事者間の話題に上つていた本件家屋売買の点に移行し、被控訴人は九〇万ないし一〇〇万円の売値を、控訴人は五〇万円の買値を打ち出し、ついで、同月一七日、一八日頃から以降、内海は前記株式会社タカラの社員一、二名を三、四回にわたつて被控訴人方に遣わし、被控訴人との間で売買代金額につき接衝を重ねさせた結果、同年六月末頃にいたつて被控訴人側は八三万円、控訴人側は八〇万円の線までに双方歩み寄りがみられ、最終的には控訴人側で被控訴人側の右売値に応ずる場合には即刻手付金を差入れて契約を締結するとの段階までにこぎつけたが、控訴人側より最終的な応答がないまま右売買の話は立ち消えとなつた。
一方、被控訴人は右催告期間の経過後ではあるが控訴人と右売買交渉が進行中の同年六月二〇日付書面で控訴人が前記月額三、〇〇〇円による延滞賃料の催告に応じなかつたことを理由に本件賃貸借契約解除の意思表示をした。控訴人としては、右催告を受けた直後から被控訴人との間に右のように本件家屋売買の交渉が進められていたので、催告期間内に賃料の支払をなさなかつた。
以上の事実が認められ、<反証排斥・略>。
6 以上認定の事実関係によれば、
(1) 控訴人が昭和四一年七月分以降賃料の遅滞におち入つたのは、被控訴人が賃貸人となつた直後増額をみた月額三〇〇〇円の賃料を約一年半を経過して再度月額六、〇〇〇円に増額を申し入れ、控訴人との間に増額の合意がえられなかつたのに右増額分の請求を堅持し従前額ではこれを受領する意思のないことが窺われたことに起因するものであつて、控訴人が従前の賃料額の範囲であれば、その支払の誠意ならびに資力を有していたことは、前記のような控訴人の債務履行状態および前認定の本件催告にいたるまでの間における賃料増額をめぐる当事者間の交渉経緯にてらしても十分認めうるところである。
(2) ところで、被控訴人は昭和四二年六月五日付の本件延滞賃料の催告に先き立ち、前記のように同年二月八日付書面で昭和四一年七月分以降月額四、〇〇〇円に増額されたことを前提とする支払催告をなし控訴人から右増額分の支払に応じかねるため従前額に据え置かれたいとの要望がなされた後にいたつて、再度本件催告に及んだものであるが、本件催告においては、まず従前の月額三、〇〇〇円の割合による支払を求めながら、他方昭和四一年七月分以降につき賃料増額の意向あることを同時に表明しているのであつて、右催告自体から被控訴人が従来の賃料増額の申入れを撤回して従前額の支払をもつて足りるとする趣旨か否かは必ずしも明確とはいえないばかりか、従来より控訴人を代理して被控訴人に対し賃料の支払、賃料増額などの接衝にあたつていた内海清二の介入をことさら排除するかの如く、控訴人本人が出頭して賃料の支払をなすべきことを要請したもので、この点本件催告を受けた控訴人としても少からず去就に迷つたことは推認に難くないところである。
(3) そして、控訴人が右催告直後前記内海を代理人として被控訴人と交渉させた結果は、前認定のように本件催告にかかる延滞賃料の支払解決よりはむしろ、被控訴人が本件家屋を買得以来屡々控訴人に対して申入れのあつた家屋売買の点に話合いが移行し、その後双方間に売買代金額の交渉を重ねていたのであるから、控訴人が右売買契約の成立を期待し本件催告期間を徒過したとしてもまことに無理からぬものというべきである。したがつて控訴人において右催告期間を徒過した後といえども、前記売買交渉の進行中である以上、被控訴人が右催告に基づき賃貸借契約を解除するためには、少くとも控訴人に対し相当期間を定めて家屋買取についての諾否を明らかにすることを求め、売買契約が成立しなかつたことを条件としたうえあらためて、従前賃料月額三、〇〇〇円が提供されればこれを受領すべき旨を明かにする等の措置を講ずべきとするのが、取引の信義則に合致するものといわねばならない。そうすると、被控訴人が右措置に出でなかつた以上、控訴人が本件催告に応じなかつたとしても、控訴人には継続的債権関係たる賃貸借契約の基礎である相互の信頼関係を破壊するにいたる程度の不誠実があつたとは評価できないところである。したがつて、控訴人が本件催告期間内に前記月額三、〇〇〇円の割合による延滞賃料を支払わなかつたことを理由としてなした被控訴人の本件賃貸借契約の解除は信義則に反し許されないものといわねばならない。
(斎藤平伍 高山健三 木村奉明)